シンデレラになりたいから浮気する

ある人は女性を心理的にこう説明している。

「昔は、女性はひとりの男性しか愛せないとか、赤い糸伝説みたいなものがあったけれど、それは体制側が社会を治めるのに都合がいいように作った話で、特に明治という時代が女性に思い込ませたものなんです。女性って本来そういうものじゃないし、これは作られた特性だということを知って欲しいですね。そのカセを外して、いまの女性は自由になったわけです」

また本来、女性は、「いろんなタイプの男性と自分をセッ卜にしてみたいという気持ちがあるし、自分というものをさまざまに演じ分けてみたい」と思っているのだとか。

この類の議論にはいつも根拠が示されないので、異種タイプの男性だちとのセッ卜願望については理解し難いのだが、女性のいわば「変身願望」によるものと考えるなら、わかる気がする。

女性は「変身」が好きだ。男性ならせいぜい「ウルトラマン」を連想する程度かもしれないが、女性にとっては毎日の化粧だって、ちょっとした「変身」なのだ。

それに男性にくらべてはるかに選択肢の多いファッション。なにより少女のときから愛読してきた『シンデレラ』こそ、変身願望の権化なのだ。

そりゃ中には自己の「シンデレラ・コンプレックス」を否定する強がり女性もいるだろうが、シンデレラ的物語は現代でも多くの人気を集めている。たとえば『マイーフェア・レディ』や『プリティーウーマン』も大ヒ″卜した。このような映画で女性たちが観たいのは「変身」である。もちろんその場合、より美しく、よりカッコ良く、より幸せな変身でなければならない。

つまり、ある男性と自分をセッ卜にしたいというより、その彼の世界に自分を置いてみたいのではないだろうか。そしてその新しい環境で、自分がどのように輝くか。もしそれが成功すれば、そんな自分が好き、そしてそんな自分を演出してくれた彼が好き、でもやっぱり「自分が一番好き」なのだろう。

けれども、女性とはそんなものだと他の人から言ってもらえれば、これまた心強いのだ。

 

特集記事としての「複数恋愛」

「複数恋愛」って面白そう!|なんだかんだ言っても、こんなイメージが伴ってこそ、「複数恋愛」がファッショナブルな女性誌の特集記事に取り上げられるのである。

まず、恋愛問題にいつも熱心な『SAY』はこんな見出し―「女にとってのほんとの幸せって?『ひとりの彼にしばられたくない もっといろんな恋をしたい」-私たち16人の恋愛体験学 複数の男性とつき合うためのルールブック」。

七ページにわたる特集で、まずは東京マリッジーセンターによる「現代OLの意識調査」の結果が紹介される。恋人のいる女性の12パーセントが「複数の男性と、現在、肉体関係がある」、74パーセントが「恋人は1人だがその他に複数のボーイフレンドがいる」と答えたとか。

この類のアンケートには、いつも「分母」に対して不信の念を抱かざるをえないのだが、時代的に「アッシー」などを取り揃えておくのが「オシャレ」と思われる傾向があったのかもしれない。

また、「恋人のいる女性」という前提によって、当然ながら「モテ女」が何割かは含まれているわけで、彼女らが複数の男性と付き合うのは、ごく自然なことなのかもしれない。

で、そのようなモテ女たちの体験談が語られるいっぽうで、ひとりの男性とずっと愛し合ってきたことを「私たちの誇り」と言い切る真面目な女性も登場。

しかし、そんな単数(?)恋愛派の中には、彼だけで満足しているわけではないけれど、「いろんな男性と同時につき合うなんて、とても面倒くさくてイヤ」という女性もいる。自分のことを「まめじゃない」と認めているが、恋愛体質とか恋愛性ではない、あるいは本質的に異性への関心が薄い、ということなのだろう。

善い悪いの問題ではなく、一定数の女性は、まあ古来からのしきたりや、それこそ「永久就職」のため、とりあえずは結婚するものの、自分のこととしての恋愛や、(映画スターではなく現実的な)男性への興味を、ほとんど抱かずに暮らしているのではないだろうか。

平日の昼下がりなど、シティーホテルのラウンジに集ってティータイムを楽しんでいる中年女性グループを見ると、私など、そう感じざるをえないのだ。とてもじゃないが、「出会い」を期待するなら、あんなにノン気にケーキなどほおばってはいられまい、と思うような体型とファッションセンスの持ち主がほとんどである。

「オバサンは一日にして成らず」である。相手が単数であれ複数であれ、「恋愛」命の女性であれば、この言葉を肝に銘じているはずなのである。しかるに面倒くさがり屋であれば、刺激などは求めずに、ぬるま湯が大好きなものだ。

ホテルでの甘いひとときは、情事ではなく、ケーキ! ということになるのだろう。実に平和だ。

 

二股と複数恋愛

女性誌は、両数恋愛と複数恋愛を同じように扱うきらいもまだある。

だが、二股、つまり二人の男性のあいたで心が揺れる、なんていうのは『冬のソナタ』でも見られるように、純愛物語においてもよくあるパターンだ。かつては女性誌の恋愛相談ページの定番ネタたった。

二股をかけるというと言葉は悪いが、二人の男性のどちらにもそれなりに魅せられて、一方に決めかねる女心というのは、あまり不真面目な感じがしない。もちろん両者を天秤にかけ、最終的には一方を選択する場合が多いのだけど。

恋愛の先に「結婚」があり、その「結婚」が「永久就職」と思われた時代なら、なおさら女性は男性を選ぶのに慎重になっただろうし、見比べもしただろう。「ダイヤモンドに目が眩み」、宮が許婚の貫一を捨てて、銀行家の息子・富山と結婚したのも、(女性にとって結婚が就職であるなら)きわめて常識的な選択をしたまでだ。

男性だって、就職活動中、いくつも内定をもらって意気揚揚としていたりするじゃないか。で、結局は「優良企業」を選んでも不思議ではないし、不誠実な感じもしない。複数の内定は浮気心の表れではなく、能力が高く評価されたことの証なのだ。

ということは、二股どころか三股以上の複数恋愛だって、女性の行動力や処理能力が少々ダイナミックになって可能になったわけで、とくに非難されるには当たるまい。

ただ「内定期間」が長かったり、「就職」しながらも、より良い条件を求めてへッドハンティングされるべく、自分に磨きをかけ続け、チャンスを狙ってあちこちの「研修」に参加しているのかもしれない。

つまり、女性にとって、一人の男性では満足できない「複数恋愛」は、「浮気心」よりむしろ「向上心」のなせる技とは言えまいか?(浮気する女性は概して知的レベルが高いと、私の知るプレイボーイたちは考えているようだ。いや、もちろん、遊び慣れた彼らが。知的レベルの高い女性としか付き合わないで、そうでない相手とは成り行きでその場限り、ということなのかもしれないけれども。)

リスクヘッジのためであれ、向上心のためであれ、こうなると「複数恋愛」には、知的で肯定的な印象すら持ってしまう。で、唯一の否定的意見は、「相手に悪い」ということなのだろうけれど、それって、余計なお世話だ。

男だってバカじゃないんだから、そういう(悪女)タイプの女性とのデートを楽しんでいるだけかもしれないし、自分の仕事が忙しくて二、三ヵ月に一度ぐらいしか会えず、メールや電話もたまにしかできなくても文句も言わず、(たとえ他の男たちの影が感じられても)機嫌よくしている女性なら、面倒臭くなくていいという男性もいるはずだ。またこの男性だって、複数の女性と付き合っているかもしれないではないか。

いずれにせよ、「モテ女」を独占できると思うのは、容姿、財布、センス、体力など、すべてに恵まれた男か、自惚れの強いメデタイ、というか困った男なのだ。

 

モテ女のリスクヘッジ

ひどい失恋の経験がなくても、プライドや心が傷つけられるのが恐い臆病な小心者や、失恋の痛手を回避する方策を練る慎重派は、同様にこのリスクへッジを考えることだろう。(もちろん、そう願ったところで、そこそこモテる女性でなければ実行はできない。くどいようだが、念のため。)

バブルの頃に、「本命君」、「キープ君」、「ミツグ君」、「アッシー君」、「メッシー君」などの言葉が、モテる女性のあいたで使われているようにマスコミは報じた。いかにも派手に遊びまくる女性が、目的別に複数の男性を利用する実態として、当時はかなり話題にされた。

しかしバブル的にモテていた女性は、いつかそのバブルが崩壊するかもしれないことを予知し、「本命君」以外に予備軍をち’んと維持したのである。「キープ君」なんて、まさにそう。まさかのときのために。確保しておきたい男、というわけだ。

そのあとの「ミツグ君」以下の呼称も、まるで相手をバカにしたように聞こえるが、本当に嫌な男性からプレゼントされても嬉しくないはず。ましてやそんな男性と共に食事するのは苦痛だろうし、その車に乗るのも不愉快に決まっている。つまり、彼らと付き合う限り、女性たちは彼らにある程度の好感を抱いていると考えて間違いないのだ。

このように相手によって付き合い方や、親密度に違いがあっても、女性が三人以上の男性と同時並行で交際することについては、比較的最近まで話題にされなかったのではあるまいか。

まあ「マドンナ」や「女王」のように奉られた女性のまわりに男性が集うという構図は、たとえば菊池寛著『真珠夫人』(1920-21)などの物語にも見られはする。

けれども、そのようなコミュニティやサロンがわが国においてあまねく成立していたわけではない。

しかしここで取り上げる交際形態はあくまでその瞬間は一対一だけれど、次の瞬間に相手が変わる、かもしれないのだ。しかもこれらの付き合いが、単なる友人関係ではなく、そこに多少なりとも恋愛感情が混じると、「複数恋愛」なる言葉で説明されることがある。

あえて「三角関係」と言われないのは、「二股」をかけているどころではなく、つまり「両数」ではなく三以上の「複数」の相手がいるためだろう。

 

モテ女はフラれる?

不細工な女をフルのは可哀そうで、ついつい腐れ縁が続いてしまうという優しい(?)熟年男性がいる。ひょっとしたら、その後、もうその女性と付き合う男性が現れないかもしれない、などと同情してしまうらしい。

けれども、相手が美女なら、すぐにまた次の男性が見つかるだろう。そう考えると、楽な気分で、別れられるのだとか。

つまりこの場合、容姿が問題にされているようだが、実はモテるかモテないかがポイントなのである。そして、ルックスの良い者はモテるという常識的な判断によって、冒頭部のような事態が生じるのだ。

美女は、というよりむしろ「モテ女」については、男性も心の痛みを(あまり)感じずにフルことができる。しかもモテる女ほど、プライドが高いので、相手に恨み言をぶつけたり、ストーカーと化す可能性も少ない。男性にとって、フッても安心安全な恋愛相手である。

(もちろん同様の理由で、もし立場が逆になっても、女性にとって、本当のモテ男のほうが、自分から別れを切り出すときのリスクは少なそうだ。

おそらくモテない男は「やっぱりダメか!」と、あきらめてくれるだろうが、「ちょいモテ」あたりは性が悪く、なぜフラれたのか理解できず、つきまとうきらいがある。)

しかしながらその結果、モテる女ほど(寄って来る男も多いけれども)フラれる確率も高いということになる。

そうしてフラれたそのみじめな経験、すなわち「どうして私みたいなモテ女が、フラれなきゃならないのよ、ありえない」と腹を立てた、あるいは人知れず深く傷ついた彼女らは、当然ながら防御策を考えるようになるだろう。

そう、恋愛にも「リスクへことが必要なのだ。つまり、フラれたときのショックを最小限にとどめるために、付き合う男性を複数にしておくのである。

ちょうど、資産は預金、不動産、株に三等分して所有しましょうという理論に似ている。また株にしても、同じ銘柄や同業種にまとめるのではなく、複数の業界に分散させていたほうが、リスクヘッジになる。

『SPA』では、「〔3股4股女〕のオトコ運用テクに呆然! 複数の男をキープし、リスク分散しながら幸せの高利回りを追求する、恋のファンドマネジャーみたいな女たち……」とのタイトルで、そのような女性たちの実例を紹介している。

複数男性との付き合い方を、資産運用にたとえ、「クールに3股をかける女たちの。分散投資理論ごとして説明したり、「彼女たちの話は『浮気』というより、もはや『複数の銘柄の運用』」と言い切る。

たしかに相手の男性から見れば、「浮気な女」に思えるだろうが、「本気」で愛する男性がいないのなら「浮気」ともいえないだろう。あるいは自分のものなら、どの資産も大事、というのと同じで、どの男もそれなりに大切なのかもしれない。

さらに別号の『SPA』も「恋愛の利回り」という連載記事において、やはり男女交際を、投資になぞらえて面白おかしく説明している。つまり恋愛の分散投資によって、「リスク最小化とリターン最大化の両立を目指す」のであるが、次の一文も、結構笑いながら納得できるのではないだろうか。

ハイリスクーハイリターン型女性と危険な恋を楽しんだり、ローリスクーローリターン型女性とまったりした関係を持ち、心の安寧を得ることも可能である。

経済とからめて恋愛を語りたがる傾向が、男性誌『SPA』にはあるのかもしれないが、女性は、とりわけモテ女は、このように理論化せずとも、本能的にこういったことを知っているのではあるまいか。